日本教育新聞(2006.01.02) より転載
私の疎開先は、北九州の海辺にある半農半漁の 小さな村でした。
その村にあるとても小さな小学校に通っていたのですが、 とてもいい学校でしたね。
当時は子どもが大変多くて、ひと教室に五十人も六十人も詰め込んでいた時代でしたが、先生方は皆、随分まめだったように思います。
ある担任の先生は、美術教師ではなかったのですが、陶芸がお好きだったのでしょう。
小学生の子どもたちを連れて粘土を掘りに行き、その粘土で好きなものを焼かせてくれました。
陶土は服に付くととれなくて困るのですが、とても楽しい思い出です。
今考えると子どものレベルに合わせるというより、ご自分の得意とすることをされていた。
でも、先生自身が面白がっていたから、子どもも熱中してついていったように思います。
一番印象に残っているのは、中学校の数学の先生です。
毎日毎日ガリ版でプリントを刷って、朝の十分間で解かせて、その場で採点する。
そうやって生徒の計算能力を引き出してくれました。
その先生はシベリアに抑留されて、大変な苦労をされて引き揚げてこられたそうです。
小柄で寡黙な方でしたが、中学教師という道を選んだからには自分の道をきっちり伝えていくという、強烈な思いを感じました。
皆その先生を慕って、卒業後も先生が亡くなるまで集まり続けていましたね。
私が今、子どもたちに一番身に付けて欲しいのは、生き残る力。
根本的には、子どもがこの世の中でちゃんと生き抜く、 生き残る力をつけることだと思います。
だから国語の先生は国語の力、数学の先生は数学の力を子どもたちに付けることで、その子がこの世に対応し、生き残れるようにするわけです。
私も食の分野から、子どもたちが生き残る力を育もうと活動しています。
私は「食べ力(たべぢから)」という言葉を使っていますが、食べ力は、生き抜く力の源。
高校を卒業して一人暮らしになったときに、ご飯が炊けておつゆとおかずが作れればいいですね。
幼児向けの食の教室を開いていると、少子化の時代だからでしょうか、親御さんが先回りして教えたり、手を出したがっているように感じます。
でも大切なのは、子どもの出方を待つこと。
包丁で切るのも焼きそばを作るのも、手を添えるのでなく、お手本だけ見せる。
そうすると、子どもたちは何でも吸収します。
教育も同じでしょう。
お手本を見せて、あとは本人が見よう見まねで覚えていくのを待つ。
けれども今は、待つことができなくなっている気がします。
正解をどんどん教えていくのでなく、失敗しながらも自分で答えを見つける力を付けるのが教育だと思います。
小学校で授業することも、よくあります。
お米の水分量を食品成分表で確かめたり、電子レンジでお米を炊いたり。
子どもたちとのやりとりの中で感じるのは、子どもをその気にさせるには本当に一言でいい、ということ。
大勢の子どもたちの中で一人がちょっと選ばれて表舞台に立つことが、すごく自信になるようです。
教師というのは、子どもたちの可能性を引き出す、すごい仕事だと感じています。
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