西日本新聞 聞き書きシリーズ 「ちゃんと、ごはん」 良い人生のために

西日本新聞(2013.04.01〜) より転載

72.第5の味、うま味 (6/26掲載)

明治後期の1899年。一人の日本人がドイツに降り立ちました。男性の名は池田菊苗。薩摩藩士の次男で東京の帝国大学を卒業後、ライプチヒ大学に留学。ノーベル化学賞を受賞したオストワルド教授のもとで最先端の化学を学びました。英・ロンドンにも足を延ばし、留学中だった夏目漱石とも親交を深めました。漱石に「素晴らしい博識ぶり」と言わしめた菊苗は帰国後、昆布の研究に没頭します。彼が見つけたものとは。
毎日昆布を煮出しては分析を続けた菊苗は1908年、おいしさのもとはグルタミン酸であることを突き止めます。それを「うま味」と命名。日本の十大発明の一つに数えられ、後に企業家・鈴木三郎助によって「味の素」として商品化もされました。菊苗はドイツ人の隆々たる体格と旺盛な食欲を目にして「日本人の粗食と栄養状態を改善すべし」と切なる思いを抱き、「佳味(かみ)は食物の消化を促進す」と説いてうま味の周知と普及に尽くしたのでした。
うま味はタンパク質を含む食物を口にしたときに感じる味で、肉や野菜、みそにも含まれます。みそ汁を飲んでほっとするのは体がうま味を求めている証拠ともいえます。事実、2001年に米・マイアミ大学が「人の舌にはうま味を感じ取る受容体がある」ことを発見。06年には胃にも受容体があり、消化吸収を促すことが報告されました。うま味を感知すると唾液や胃液の分泌が進んで食道も開き、体が食べ物を受け入れる態勢をつくるというわけです。
母親の羊水もグルタミン酸の水溶液で、母乳にもこのうま味成分が含まれることが分かっています。イスラエル・ヘブライ大学のシュタイナー教授は、赤ん坊は生後5〜7時間で味を感知し、中でもうま味には穏やかな表情を示すという実験結果を報告しました。最近では離乳食でもうま味を重視し、塩味よりだしを利かせた献立を薦めています。
うま味は甘味・酸味・塩味・苦味に加え第5の味と認められ、海外の辞書でも「umami」と紹介されています。菊苗の功績の結晶である味の素は、70年代に化学調味料への抵抗感が広がり苦難の時期もありましたが、後に無害が立証されました。素材の味を生かすことを前提に、菊苗の情熱の結晶を上手に食卓に取り入れるのも賢い選択肢と思っています。

 

73.ミニシェフクラブ (6/27掲載)

「これは何?」。野菜を一つずつ取り出すと「ニンジン」「キュウリ」と子どもたち。食材に友だちのような親しみを持って答えてくれます。自分で包丁で切ってサラダにし、調味料もなめて甘味、塩味、酸味を覚えます。2001年に3歳児向け食育教室「ミニシェフクラブ」を始め今年で13年目。3歳は何でも自分でやりたがり、一つずつステップアップすることに興味を示すとき。料理を始めるのに最適です。
わが家の子どもたちも、小さなころから料理する私の手元をじーっと見ては「何作ってるの?」。親のやっていることをよく見ていて、頼まなくても「サラダ作ってあげようか」と参加してきました。野菜に塩を振り、酢と油をかけて自分で完成させ、真っ先につまみ食い。失敗しても原因を考える力がつきます。親も見守っていればいいと気付きます。
そんな育児の体験からミニシェフクラブが生まれました。魚は丸ごと1匹を触ってみます。硬いうろこに驚いたり、手に伝わる重みを感じたり。「お魚、死んでるの」と聞いてくる子も。私は「だから食べられるのよ」と答えます。魚の命をもらって、自分が生きていることを子どもたちは漠然と感じ取ります。3歳なら魚の内臓を取り除きます。包丁に慣れる5歳になれば三枚おろしにもチャレンジ。包丁の使用は安全加工された子ども用なら3歳から大丈夫です。ケガの大部分はまな板が不安定なのが原因です。まな板の下にぬらしたペーパータオルを敷きます。自分で作れば嫌いな食材でも食べますね。親御さんには子どものがんばりと学びを見守ってもらい、「手出し、口出し無用に願います」と伝えています。
料理は五感を刺激します。野菜は煮えるとしんなりして美しく発色します。コトコト音がしていいにおいが漂えば出来上がりの合図。教室でパンを焼くと「なんでパンが温かいの」と尋ねる子もいます。出来たてに触れる機会も貴重ですね。
おいしさを生み出すことは、創造力を育てます。小学生になれば料理の化学変化を応用した「料理手品」も楽しいですよ。卵はなぜ熱で固まるのか?ポップコーンはなぜ膨らむ?食に関する身近な問いが、ひいては自分の健康を考え、維持する力になるのです。

 

74.アレルギー対策 (6/28連載)

食べるということは、体外の物質との出合いでもあります。食べ物という物質を受け入れて体内の消化酵素で分解し、代謝酵素によって体をつくり、動かします。食べ物は自分の一部となって絶え間なく新しい「私」をつくり続けます。生きることは他者との出合いの連続ですね。ところが体にはなじまない物質を慎重に拒む仕組み「免疫」が備わっていて、本来無害の食べ物でも、人によっては過剰に反応してしまうことがあります。これがアレルギーです。
食物アレルギーは先進国を中心に増加しています。タンパク質を含む食材から野菜、果物、そばなど広範囲に及び、1人で13種類のアレルギー食材がある子どももいます。治療は原因食物の除去が基本。成長とともに改善することが多く、原因食物のアレルギーを起こさない限界量を調べ、少しずつ摂取する方法(減感作(げんかんさ)療法)もあります。
私は徹底してその原因食を除去します。卵がだめなら、鶏肉も外します。講演会で話すと保護者の方には「厳しすぎる」と言う人もいます。「ふつうの食事」を食べられない子どもをかわいそうと思いがちですが、その時に食べられる食材の範囲で工夫し、自分や家族の食生活を考えるのも大切です。人はみなそれぞれ違い、人の数だけ食の形があるのです。安易な対応は慎まねばなりませんが、食べられない食材は工夫次第で代替できます。例えばパンなら卵なしでも作れますし、牛乳は豆乳に置き換えられます。小麦がだめなら米粉100%にすることもできます。市販の米粉パンは小麦グルテンを使っていることが多く、小麦アレルギーの方は確認が必要です。
アレルギーの症状は多岐にわたりますが、過呼吸や意識不明など重篤な症状が現れる「アナフィラキシーショック」もあります。私自身かつてCTスキャン検査を受けた際、ヨード造影剤の点滴が始まった途端にアナフィラキシーショックに。その後のことは覚えておりません。事前にパッチテストをしていたのにもかかわらず、ヨード禁忌(ヨードの使用や海藻類の食事ができない)の体質であることが判明したのです。禁忌ですと減感作療法は効きません。海藻や海藻抽出物などを全て食事から外したところ、急激な腹痛や下痢、目まいなど長年の不調から解放されました。

 

75.命みなぎる病院食 (6/29掲載)

がらがらと配膳カートがやってくる音がすると、待ちに待ったごはんの時間。ベッドで一日を過ごす入院中の楽しみは、何より食事です。近年はよりおいしく、より効率よく提供する工夫もなされ、医療もサービスの時代になりました。
入院患者の食事管理と栄養指導は管理栄養士の仕事です。私は2010年から3年間、宮崎県内の病院で給食の改善支援をしました。「病院食が不評で、残さい(食べ残し)が多く何とかしたい」とのこと。ここでは10年間同じ献立で「白身魚など脂身の少ないタンパク質に軟らかいごはんと野菜、味付けは和風」という30年前の栄養指導そのままの内容でした。家庭の食事に近い献立にし、鉄分やカルシウム量を引き上げました。すると寝たきりの人が起き上がったり、車椅子で移動できたりするようになりました。何よりニコニコと笑顔が見られるようになり、気に入ったメニューには「レシピを下さい」と言う人も出てきました。家庭の食事が持つ「食べる人への思いやり」は、命をみなぎらせてくれます。給食でもそんな思いが大切です。
高血圧を予防・改善する食事「DASH食」の開発も進めています。1997年にアメリカ国立衛生研究所が提案した食事プランで、減塩を基本に血圧降下作用のあるカリウムなどを積極的に摂取します。日本人になじみのある献立で無理なく続けられるDASH食を作ろうと、大学やメーカーと共同研究を続けています。栄養学的な数値を料理に具現化するのが私の役目。食事はまず目で楽しむものですから、食材の色味のバランスも十分に検討します。料理には絵心も大切ですね。
患者自身の「回復したい」という気持ちも大切です。私は50代のころ、ワックスで磨いたばかりの料理スタジオをハイヒールで気取って歩いて滑り、大腿(だいたい)骨を折って入院しました。骨折の場合、タンパク質とカルシウム量を通常の2倍取ると回復が早いのです。カルシウムの吸収にはビタミンCが必要です。病院食を栄養計算してみると到底足りず、ベビーチーズと果物を差し入れてもらい食事に取り入れました。全治3カ月との診断でしたが、手術後2週間で退院。翌日には名古屋の中部日本放送であった「キユーピー3分クッキング」の収録に向かったのです。

 

76.おひとりおふたり (7/1掲載)

「ごちそうひとり鍋」(扶桑社)を出版したのは2006年のこと。タイトルを決める企画会議でもめました。「ひとり鍋なんて、そんなさびしいイメージの本が売れるはずがない」。こんな意見が多数を占めるなか、出版社営業部で働く独身の女性社員がすっくと立ち上がりました。「自分だけのために、ごはんを作るのもいいものです」。早く、おいしく、簡単に、ちょっとおしゃれに1人分のごはんを作りたい人は少なくないはず。現実のニーズを鋭く読んだタイトルとして原案が通り、本は予想以上に部数を伸ばしました。
人は見えないところが勝負です。台所で立ったまま食べるなんてもったいない。1人だからこそ、すてきにごはんを食べてほしい。鍋ものなら基本は材料を鍋に入れるだけで手間なしです。野菜や肉、魚、キノコ類が一度に食べられ、ごはんや麺とも相性抜群。寄せ鍋はもちろん、カレー鍋などあり合わせの材料で工夫できます。平日分の食材を週末に買い、上手に使いきりながら週末は外食でもいいし、特別メニューを作るもよし。自分で作れば、1週間を2千円の予算で暮らせます。自炊で体調も安定して、足のむくみや美肌にも効果ありです。
1人世帯は男女を問いません。年齢構成では20代の学生世代と70〜80代の老後世代が山になる緩やかなM字カーブを描きます。単身赴任の人や家族の都合でときどきひとり≠ニいう人もいるでしょう。「おひとりさま」という言葉もすっかり市民権を得ました。バランス良い食事はおひとりさまが人間らしく自己を確立するための必須条件です。
私と夫の啓助さんは、子どもが独立してからは夫婦だけの「おふたりさま」です。私71歳、啓助さん79歳。2人一緒の食事もあれば、どちらかが都合でいない1人の食事もあります。冷蔵庫には常備菜として高野豆腐の含め煮や煮豆などをストック。タマネギと玄米ごはん、コンソメに水を加え圧力鍋にかけて作る「ポタージュの素」はカレーにも応用でき、欠かせません。
お互いの領分を尊重して、語らない部分も少しは残しながらほどよく距離を保ってきました。自分が機嫌良く暮らしていると周りもそうなってくるはず。お互い「おひとりさま」ができてこその「おふたりさま」です。

 

77.「悠々自立」の台所 (7/2掲載)

17年前に福岡と東京を往復する生活を始めたころ、夫の啓助さんが会社勤めを終え、「悠々自適族」に。とはいえ、福岡で忙しく私の仕事のサポートをしてくれながら、ゴルフや野鳥観察の趣味生活、友人の吉田繁治さんのメルマガで世界経済の勉強を楽しんでいます。今、啓助さんは79歳。月のうち半分以上は1人の時間を送り、その時の食事は自分で作ります。男の料理≠ニ肩肘張ったものではありません。料理が好きでやっているわけではなく、「自衛上必要」なのが出発点。定年後、まず決めたことは「自分のことは自分でやる」。私が不在のときの啓助さんの「悠々自立」という台所の風景です。
朝。最近の定番は雑炊です。どんぶりに凍ったごはん150グラムとタマネギ氷2個(50グラム)を入れ、電子レンジで解凍したら野菜や卵、納豆など好みの具材と水を入れ、再びレンジにかけます。その後、しょうゆなどで味を調えます。その料理術は「分量を量って加熱時間を決め、化学変化させる。中学の理科ですよ」とあくまで合理的。野菜はあらかじめレンジで加熱し、食べやすく切った状態で冷蔵保存しているので使い勝手がいいのです。昼は外食が多いようです。行きつけの店もありますが、通りすがりに人気店を見つけては教えてくれます。
夕食は魚中心の主菜を加熱済み野菜とごはんと一緒に食べます。調理は煙が出たりして大変なのでデパートの地下で刺し身や一夜干し、塩焼きなどを購入しています。味のついていないものを選び、自分で調味します。調味料は酢、油、しょうゆ、塩、こしょうや唐辛子などの香辛料を配合して作ります。総合調味料は「リーペリン」のソースだけ。他にはギョーザ、コロッケ、とんかつなどで、変化を求めれば握りやいなりずしなども。「いかに手をかけずにおいしく食べるか」がポイントのようです。
啓助さんはもともと洋服も自分で見立てて買ってくる人。台所に立つのも気負いはなく、大根をおろしたり、後片付けしたり。啓助さんいわく「『おーい、お茶!』は諸悪の根源」。どんと座ったまま、お茶入れから何でも妻や家族にさせると、自分自身の自立を妨げることになるという考えです。そして続けます。「汝(なんじ)、介護を受け急ぎたもうことなかれ」

 

78.介護食の10か条 (7/3掲載)

料理や食は、記憶とともにあります。スモモの甘酸っぱさに遠い子ども時代の情景がよみがえったり、カレーの香りに食べ盛りのころの息子たちの顔が浮かんできたり。年月を重ね、かむ・飲む・消化という動きが難しくなっても、それまでの人生で出合ってきた食生活を尊重したいと考えています。
介護食のための10カ条を紹介します。@現在のかむ力、のみ込む力を把握するA食欲減退で低栄養にならないよう、おいしさを演出する工夫をBタンパク質と野菜は1対1・5に。通常は1対2ですが、咀嚼(そしゃく)力が低下した高齢者には困難C1回の汁物は140グラムを上限に。水分で満腹になりやすいD加工品より生鮮の食材を。食欲を喚起しますE素朴な味付けを心掛けるF食べ慣れた料理や好物を選ぶG食材の形、彩りを生かす。つぶしすぎては一体何を食べているか分かりません。軟飯(なんぱん)でのり巻きを作り、目の前で切り分けるのも方法H手早く作る工夫を。作り手が負担になっては続きませんI介護食は離乳食と違います。人生の酸いも甘いも経験し、料理の味が分かった人の体を養う食事ということを忘れないようにしたいと思います。
ただ、毎日完璧においしく、上げ膳、据え膳である必要はありません。現実の生活なんて予想もしないことの連続です。ときには「今日はどえらくまずかった!」「塩を入れ忘れたのではなかろうか」という避けがたいハプニングがあっても、会話に弾みがつきます。たまには塩やコショウなど調味料をそろえ、「このサラダは自分で味をつけてください」という日があってもいいでしょう。驚きや意外性、自分の手での創意工夫は最大の調味料です。よかれと思って何でも先取りする介護では、楽しみの機会を奪ってしまいます。
よりよい食生活を維持するためには自衛も大切です。介護要因の一つとして近年注目されるのは「ロコモティブシンドローム」。足腰の不調やゆがみ、骨粗しょう症など運動器症候群とも呼ばれます。私は普段からスティックタイプのスキムミルクを持ち歩き、カルシウム摂取を心がけています。買い物難民にならないため「1キロの荷物を両手に持って往復2キロを歩ける」という運動器の機能の基準値をクリアできることも大切。健康寿命を延ばすことは社会貢献にもつながります。

 

79.やっちゃんの減量 (7/4掲載)

痩せたいのに痩せられない。ダイエットは、出版やテレビ界でも関心の高いテーマです。「これを食べるだけで効果絶大」などとあらゆる情報が混在するなか、基本を見失い、リバウンドしたり、体調を崩したりすることも少なくありません。健康的に食べれば、痩せられます。難しいことではありません。
人の体は食べたものでつくられています。人間の体の構成成分通りの食べ方をすれば、バランスの取れた体になるのです。それぞれ体質はあっても、太る人は無意識に脂肪をためやすい食べ方をしています。4月から40代の働く女性(愛称やっちゃん)に、減量のアドバイスをしています。沖縄の海に潜るため、太りすぎた体をウエットスーツにすんなり収めることが目的でした。やっちゃんの好物はバターや卵がたっぷり入った焼き菓子。食事記録を見ると「1回の食事にかしわ飯を茶わん3杯のみ」「食パンを1斤ペロリ」「お煮しめにクリームパン2個」という日もあり、野菜も肉も全然足りません。タマネギ氷を取り入れながら体重と体脂肪の変遷を記録しました。メールをやりとりし、気づきをうながします。一部紹介します。
やっちゃん:「運動不足、お菓子もいけないでしょうね」
私:「ゆっくりエネルギーに変わる粒食のご飯の方がいいですね。1日当たり180グラムのブドウ糖を体に供給すれば脳で120グラム、体で60グラムを消費して、プラスマイナスゼロで元気に働けます。これは茶わん1杯のごはん3食分と、果物や調味料からの糖分で補えます」
やっちゃん:「きちんと三食とらないとおなかがすく。少し食べて満足し、またおなかがすくのです」
私:「三食しっかり食べると間食はあまり欲しくなりません」
やっちゃん:「体を飢餓状態にすれば、体重は落ちると思っていました。何事もバランスが大切と気づきます。賢い人、素直な人は一直線に効果を上げますが、よそ見をしては、げげ!であります」
私:「情報に頼らず自分で考えるのです。自分でつき進むのです」
やっちゃんは「会食や頂き物で食べ過ぎた」などとと行きつ戻りつしながら、毎日の玉ネギ氷と1日1600キロカロリー、15品目食べることを心掛け、2カ月半で4キロ減量しました。

 

80.震災と栄養士 (7/5掲載)

東日本大震災は、栄養士という職業の使命と力が再確認されるきっかけになりました。被災地では食料の不足や偏食による栄養失調が見られ、乳幼児や病人、高齢者など特に支援が必要な人への対応が遅れました。日本栄養士会は緊急対策本部を立ち上げ、中村丁次会長は全国の栄養士へ呼びかけました。「私たちは手を差し伸べる使命と知識、そして技術を持っています」。全国の栄養士が現地の栄養士と協力して栄養管理や指導を行い、今に続いています。
被災地では自衛隊の協力もあり、炊き出しが始まりました。ある町の記録では、震災当日の炊き出しは井戸水を使った玄米雑炊とみそ汁を紙コップで配布。3日目から支援物資が届き始めました。
しかし、ラーメンや菓子パンなど炭水化物がほとんどで、タンパク質やビタミンが決定的に不足していました。テレビで「生野菜が食べたい」という声が流れると、トラック1台分のキャベツが届きます。水道やガスなどインフラが復旧していない被災地に大量のキャベツがあってもどうにもなりません。栄養上も対応が困難な状況が続き、「エネルギーや栄養素は必要量の約3分の1程度で終戦直後よりはるかに低い状態だった」と報告されています。かっけや口内炎の症状も出始めました。炊き出しの白米だけではビタミンB1が不足するためで、栄養士会は「ビタミン強化米を加えてほしい」と訴えましたが、許可が出るまで日数を要しました。
これらの報告を兼ね2011年に福岡市内であったセミナーで、中村会長は「食べることは命をつなぐこと」と栄養学の原点を涙ながらに語られました。
昨年、仙台市で開かれた災害食の特別講演会で、私は電子レンジメニューを実演しました。電気はインフラの中で比較的復旧が早いのです。現地の栄養士さんから「レンジでおにぎりからおかゆを作る方法を知っていれば、介護食の方にポロポロになったおにぎりを食べさせずにすんだのに…」「食は楽しみやつながりを深めてくれる最強のツール」などとの声もありました。
栄養士会は「適切な栄養と食の支援を、必要な人に」との思いで災害支援チームを結成し、専門知識を持った栄養士の養成も進めています。

 

81.食べ力は生きる力 (7/6掲載)

毎朝、はりきって起きます。今日もやることはいっぱい。いいことが起こりそうな予感もします。あまり過去を振り返ったことがなかった私ですが、この連載「ちゃんと、ごはん」を機に歩みをひもとくことになりました。冷静に自分を見つめ直しながら、階段を1歩上ると絶対下りない、なかなか勇敢な気質だったということも発見しました。失敗も重ね、「しまった」とおわびに伺ったことは数知れず。それでも一晩寝ればおしまい。「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラのように、困難があればまず眠って「明日の朝、考えよう」と気持ちを切り替えてきました。
結婚で就職を辞退し、料理研究家としてデビュー後も「子育てとの両立は困難」と一度は引退しました。子育てに疲れ果てたこともありました。妻であり、母でありながら、私でいたいという思いは常に胸にありました。その思いを胸に、食の基本である家庭料理を現場から発信してきました。学生たちにも「料理店でも給食でも全て食は家庭料理の延長上にある」と言い続けてきました。
戦後の日本人は豊かな食卓を切望し実現してきましたが、その結果、生活習慣病がまん延しています。人は食べたようにできています。体も心も何でもいいから詰め込めば満たされるわけではありません。何と何をどれほど食べればよいかを判断する「食べ力(ぢから)」が必要です。自立した食生活は生きる力に直結します。離乳期、成長期、働き盛り、入院、介護…とさまざまな食の形がありますが、その人が一人でも生きていけるようにとの思いを込めて支援することが大切です。
具体的な方法に解きほぐし、シンプルに「やってみよう」と思える方法を伝えます。「野菜を食べよう」と掛け声だけの知識では実践できません。ならば、ニンジン、トマト、パプリカ…といろんな野菜で「野菜氷」を作ってみてはどうでしょう。レンジで加熱後、ミキサーでピューレにし、製氷皿で冷凍します。
時代が求めるレシピを生み出し、全国どこへでも飛んで「食べ力」を伝えます。動くことで次の発想が生まれます。人生も仕事も常に消化・吸収と代謝を繰り返し、その流れの中に、私がいます。ご愛読ありがとうございました。