読売新聞「シリーズ元気」(2003.02.14)より転載
子どもたちが黒豆の真っ黒な煮汁に酢を加えた。みるみるうちに煮汁が赤紫色に変わっていく。「わーっ」と歓声が上がり、手品師のような帽子をかぶった村上祥子は、「ほらね」と笑顔を向けた。
調味料メーカーのミツカンが主催する料理イベントでのひとこまだ。
家庭で料理をしなくなり、食べ物や食べることへの関心が薄れている。最近のこんな風潮を心配する村上は、子どもたちの食教育「食育」に力を入れている。
食べることへ興味を抱かせるにはどうしたらいいか。思いついたのが料理の過程で登場する様々な“魔法”だ。材料を混ぜ合わせたり、加熱したりすることで、違うものが生まれる。
例えば、牛乳に酢を加えて電子レンジで加熱し、ガーゼでこすと、カッテージチーズ。茶封筒にトウモロコシを入れて電子レンジで加熱すると、ポップコーン −手品のような料理で子どもたちを喜ばせる。「どういうものをどの順番で教えると、子どもたちが喜ぶか。ツボを心得ている」と、元スタッフの山下圭子(30)は舌を巻く。
注意をひきつければ、こっちのものだ。「笑顔で元気でいるには、野菜が大切なんだよ」。すかさず、食べることの大切さを強調する。
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最近は、自治体や教育関係者などからの依頼も多く、村上はどこへでも“飛んで”行く。空飛ぶ料理研究家の飛行距離は伸びる一方だ。一昨年夏、ついに海の向こう、米国にも飛んだ。
米国在住の主婦・赤城純子(39)ら「村上ファン」の日本人女性と、インターネットでの交流が発展し実現した。現地でも子どもたちに「手品」を披露した。
睡眠時間四時間という超多忙な村上を支えているのは、「最愛の親友」でもある夫の啓助だ。結婚当初こそ仕事と主婦業の両立はむずかしいと家庭に入ることを勧めたが、すぐ「じっとしていられる人じゃないし、時間があったらずっと料理をしているほど料理が好きなのだから」と、応援してくれるようになった。
会社を定年退職した啓助は、今では村上の料理教室の経営担当を務める。
「だから安心して、表舞台で一日に三つも四つも仕事ができるんです」
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五十歳を過ぎて自宅のある福岡を離れ、東京で仕事を始めた。おいしく、手早くだけでなく、体にいい食べ方を伝える。それが今の目標だ。「地味だけれど大切なこと。ようやくそういう仕事ができるようになった」。料理研究家として地歩を固めたからこそ、そう言える。使命感にかられるように村上は、飛び続ける。(おわり、敬称略)
(生活情報部・小坂佳子・読売新聞より転載)