読売新聞「シリーズ元気」(2003.02.07)より転載
「毎日一品は新しいお料理やケーキ作りに挑戦しないではいられない」「冷蔵庫に付いた冷凍庫では物足りなくて業務用を求めた」
−。1975年5月に発行された主婦向け雑誌「ミセス」に、村上祥子は、「お料理マニア」として、こう紹介されている。
三十三歳になった村上はすでに料理上手な主婦の域を超えていた。その熱中ぶりは、とどまるところを知らなかった。
アーモンドを使った料理、パン作りなど、様々な料理コンテストに応募。次々に優勝する「コンテストあらし」として名をはせた。もっとも、応募作品を考える間、家族の食卓にはその試作品が延々と上ることになるのだが……。
同じ社宅に、ケーキ作りがうまいと、評判の人がいると聞くと、すぐに教えを請いに行く。
村上よりも十歳ほど年上の坂入淳子の家を、村上は何度も訪ねた。ケーキの生地がうまく泡立っているかを見てもらうためだ。
二人の部屋は同じ棟の三階にあったが、廊下が通じていないので、階段を上り下りしなければならない。
「ケーキの生地を泡立てた大きなボウルを抱えて、階段をサーっと駆け下りては上って見えていらっしゃいましたよ」。坂入は村上のパワーに圧倒される思いだった。
◇
もう一つ、今日の村上を支えているものがある。人並みはずれた詳細なメモだ。村上の料理教室のスタッフを務めていた山下圭子(30)は、「レストランに食事に行っても、まず料理の写真を撮り、盛り付けや食材などをメモしていました」と語る。
四十代で大病を患い入院したときですら、「病院食は格好の勉強材料」と、メモに励んだ。はしをつける前に、写真を撮り、分量を目分量で記録して栄養価の計算をした。
東京・西麻布のスタジオには、こうしたメモのファイルが、ずらっと並んでいる。料理教室を始めたころから整理してきたA4判の分厚い薄茶色のファイルは、四千冊にも上る。
「こんなに記録して、どうやって使うのだろう」。山下は不思議に思った。
明日が出版社の編集者と打ち合わせという夜中、村上は、ファイルの谷間で一人じっと立ち尽くす。
そして、思い付いたファイルを次々取り出してめくっていく。「そういえば、こんな食材の取り合わせもあったな」と、忘れてしまっていた料理の色や香りが頭に浮かび、いろいろなアイデアがわいてくる。
村上の元気の陰には、並はずれた探求心と絶え間ない努力の積み重ねが隠されている。(敬称略)
(生活情報部・小坂佳子・読売新聞より転載)