第3回 調理法合理的に説明

読売新聞「シリーズ元気」(2003.02.06)より転載

東京・中野の製鉄会社社宅の一室。村上祥子より、ひと回りもふた回りも体格のいい、外国人女性たちで、室内は身動きがとれないほどだった。頭上を早口の英語が飛び交う。
当時、村上は二十七歳。日本人男性と結婚した外国人女性のために、自宅で初めての料理教室を開いた。教室の名前は「アンさんの料理教室」。 アンは、夫の同僚の妻、望月アンの名前から付けた。村上は、米国から来たばかりのアンに頼まれて、卵焼きやとろろ汁などの作り方を教えたことがあった。アンが友人たちに話したことから、外国人女性十二人を生徒に持つことになった。
ただ、村上には三歳、二歳、ゼロ歳の子どもがいた。教室を開くには、誰かに預けなければならない。
社宅中を見回し、間もなく三人目の子どもが生まれるピアノの先生がいることが分かった。ほとんど付き合いがなかったが、「週に一度子どもを預け合いませんか」と提案。交渉は即、成立した。

 

 

初めての教室、しかも教える相手は外国人。入念な準備が必要だが、ここでも、村上は段取りの良さを発揮する。
まず、生徒たちの夫に、どんな料理を食べたいかを調査、その中から五十種類を選び出した。夫の出身地も調べた。地域によって、みそ汁に使うみその味が異なるからだ。みその卸問屋のある新宿まで三人の子どもを連れて出向き、地方ごとの違いを調べた。
教える料理が決まると、「材料を量っては作り、量っては作り、作り方を完成させ、英語で書いた」。
日本とは違う食文化を持つアンたちにしてみれば、「体で覚える」のは難しい。村上は、なぜそうするかという「理屈」を合理的に説明し、失敗なくできる方法を教えることにした。
例えば、てんぷら。てんぷらの衣は粉と水と卵で作る。油で揚げることで中の水分を飛ばし、油が入ってカリッとすることを説明。その上で、作りやすい調理方法を工夫し、教えた。てんぷらの衣に全卵でなく卵白を加えて外国人にもなじみやすい食感にしたり、フライパンを使って揚げ油が少量で済むようにもした。
今、ニューヨークで暮らすアンは、この教室で習ったノートを大切に保存しているという。「まるで大学の授業のように体系だって教えてくれた。喜々として料理をする祥子の影響で、家事が苦手だった私もすっかり料理が楽しくなった」。
外国人に教えた経験は後に大いに役立った。料理の経験がないまま育った女性たちには、「アンさんの教室でのやり方がぴったり」だったのだ。(敬称略)

 

(生活情報部・小坂佳子・読売新聞より転載)

 

「アンさんの料理教室」以来、夫の転勤で引っ越す先々で、村上(右)は料理を教えた

写真=「アンさんの料理教室」以来、夫の転勤で引っ越す先々で、村上(右)は料理を教えた(1975年ごろ)。