読売新聞「シリーズ元気」(2003.02.04)より転載
村上祥子(さちこ)(60)は、「空飛ぶ料理研究家」を自称する。五十歳を過ぎて料理スタジオを構えた東京と、自宅のある福岡を飛行機で頻繁に行き来しているからだ。一か月に二十二回も搭乗したこともある。さすがに、この時は、航空会社から「搭乗の予約は間違いでは?」という電話がかかってきた。年間飛行距離は、十二万キロに及ぶ。最近は、食についての知識を広めるための「食教育」へも活動が広がり、飛行距離は延びる一方だ。
数年前までは主婦。料理研究家として羽ばたくまでの村上の人生、どんな“味付け”だったのか。
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「このまま料理好きの主婦で終わるのは、あまりになさけない」。八歳年上の夫・啓助に切々と訴えた。五十三歳のときのことだ。 製鉄会社に勤めていた夫の仕事の関係で、東京と九州の間を引っ越すこと十六回。その先々で自宅で料理教室を開いたり、雑誌に料理を発表したりしたが、三人の子どもが大きくなるまでは、主婦業優先だった。
子育ても終わり、両方の親もみとった。そして夫は定年。機は熟した。
「こうなることは分かっていた。好きにしなさい」。夫が首を縦に振ると、こつこつためた自分の全財産を手に、村上は福岡から飛び立った。
スタジオの場所はおしゃれな料理店が軒を連ねる東京・西麻布に決めた。「時代の風を感じられる場所で仕事をしたい」からだ。羽田にも行きやすい。
東京にいる間、村上は、文字通り寝る間も惜しんで仕事に没頭する。スタッフに「深夜まで仕事のしどおしで、休む暇もない」とぼやかれるほどだ。
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村上の名を一躍有名にしたのは、六十歳を目前に出版したパン作りの本だ。
本格的なパンを手作りする−あこがれる人は多いが、手間も時間もかかるので、難しいと敬遠されてもきた。村上は、電子レンジを活用することで、この「常識」を覆した。まるで電子レンジの手品師……。
爆発的な反響を呼び、立て続けに七冊出版、合わせて五十五万部も売れた。
最初、出版を手がけた永岡書店編集長の影山美奈子(40)は「驚くほど簡単で、しかもおいしい作り方を考え出した」と言う。
今、村上の教室は西麻布だけでなく福岡にもある。新幹線でやってくる生徒もいる。
昔からの生徒の一人は「精力的に飛び回る姿に、エネルギーも分けてもらっている」と話す。
料理研究家の仕事の原点は長年の主婦業にある。そのキャリアは小学生のころから始まった。(敬称略)
(生活情報部・小坂佳子・読売新聞より転載)