?空飛ぶ料理研究家″が今日も行く−私の辞書に休憩という文字はない

中央公論新社刊「婦人公論」2006年3月7日号
特集「自分を育てる時間の使い方」より転載(中央公論社の許可なく転用はできません)

村上祥子(料理研究家)むらかみさちこ
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私は考えるよりも先に動くほう。
料理に限らず、今やるべきこと、目の前にあることを次から次へと片づけていきます。
だって、何が起こるかわからないのが人生。
優先順位は一も二もなく、今やらなくてはいけないことから、というのが信条なんです。
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情報は知識に変えてこそ

料理スタジオを構えた東京と福岡の間を飛行機で頻繁に往復することから、?空飛ぶ料理研究家″を自称する
村上祥子さん。

夫の転勤で16回に及ぶ引っ越しを繰り返し、その先々で料理を教えてはいたものの、3人の子どもが巣立つ50代
までは主婦業を優先していた。
手早く作れる料理を得意とし、電子レンジを使ったパン作りの本で注目を浴びてから約10年。
教室をはじめ、雑誌やテレビの仕事、執筆、講演、商品開発など、めまぐるしい日々を送っている。
朝一番の飛行機で福岡に飛んで料理教室の生徒さんに教え、午後には東京に戻ってきて講演を行い、最終便で 福岡の自宅に帰る。

またあるときは、東京でテレビの生放送を終えてから福岡のレギュラー番組に出て、東京の教室の準備をするため にとんぼ返りする。
……そうやって1日に3便乗ることもめずらしくありません。

いつだったか、それが2日続いて、航空会社から「搭乗の予約をお間違えじゃないですか?」という電話がかかって きたこともありました。
飛行機の中でも、仕事の資料を読んだり原稿を書いたりしています。
月に3冊は本を出しているので、それぐらいしないと間に合いません。

周りを眺めていると、仕事中でも「ちょっと一休み」という人が多いですね。
ちょっと一服したり、ちょっとお茶を飲んだりする。
私には、会話のなかの「あの〜」と同じで、考えるのを休止しているように思えます。
私は、食事の時間以外に休憩はとりません。
母校の福岡女子大学で15年間、栄養指導の教鞭をとっていたときも、「3時間も休みなく授業をされると、学生の身 がもちません」と言われたことがあるくらい。(笑)

たぶんエネルギーの代謝がいいのと、好きなことをやっているからストレスがないのでしょうね。
片ときも、ぼーっとしていることがない。
たとえ10分でも20分でも、手が空いた時間をまめにかき集めて働くことが、身に付いてしまっているのです。
同じように、電車に乗っていても、新聞や本を読んだり、前に座っている人をじっくり観察したりしています。


私にとっては、見るもの聞くもの、すべてが情報。
目に映っていても見ていない、耳に届いていても聞いていなければ、何の意味もありません。
情報が知識にならない限り、いくら本を読んでも時間の無駄だと思っています。

最近は、仕事の合間をぬって、パソコン教室にも通い始めました。
これでノートパソコンを使いこなせるようになれば、移動の時間も、もっと楽しく有意義に使えそうです。

マスコミに本格的にデビューしたのは50歳を過ぎてからですが、料理の仕事を始めたのは27歳のとき。
夫の同僚夫人であるアメリカ人のアンさんに頼まれて、卵焼きや麦とろといった日本の家庭料理を教えたのがきっか けでした。

そのうち、彼女のアメリカンクラブの仲間12人から、週に一度、英語で料理教室を開いてほしいと言われ、「アンさん の料理教室」を開始。

やがてその輪は、どんどん広がっていきました。
料理は、体の弱かった母を喜ばせたくて、5、6歳のころから作っていました。
結婚してからは夫が毎晩のように何人もの部下を引き連れてくるので、手料理でもてなしていましたし、年の暮れには 1週間かけて、200人分のおせちを作ったこともあるんですよ。

 

週一で冷蔵庫の大掃除

普段から手早く作れる料理をご紹介していますが、その段取りのよさをほめられることが多いですね。

どちらかと言いますと、私は考えるよりも先に動くほう。
料理に限らず、今やるべきこと、目の前にあることを次から次へと片づけていきます。
とりあえずやらなくてはいけないことは、こまめにメモをして、目につくところに貼る。
急ぐ仕事の書類を、ひとつの場所に積み重ねていく人もいますが、そうすると下にあるものが見えなくなって、ついやり 残してしまいますよね。

今は大きめの付箋がありますから、それに「〇〇さんに電話」とか「〇〇についての資料を探す」「〇〇を買う」とか書い て、壁にぺたぺた貼って、やり終えたら、そのメモを捨てていく。

手帳にも気がついたことはどんどん書き込みますし、予定も状況に応じてどんどん変更します。
ただし、仕事はともかく、プライベートに関しては、綿密な計画は立てません。
だって、何が起こるかわからないのが人生ですから。
たとえば、夕飯にロールキャベツを作ろうと、張り切って準備をしていたとしますでしょう。
でも突然、子どもが事故に遭ってケガをしたという連絡が入る。
そしたら何もかも放り出し、病院に駆けつけて……。
どうにか一段落して帰ってきても、もうゆっくり料理をしている時間も心の余裕もない。
しょうがないから、さっきのキャベツをささっと切って、簡単にひき肉と炒めてしまう。

そんな具合で、これまで思い通りに事が運んだ覚えがないの。
だから優先順位は一も二もなく、今やらなくてはいけないことから、というのが信条なんです。

キャッチした情報が自分にとって必要か必要でないかも、その場で決断します。
雑誌をめくっていて、モデルさんのスカーフの結び方がすてきだなと思ったら、その部分だけピッと破って手帳に貼る。
読みたい記事も同じように切り離してホチキスで留め、手さげのバッグに入れる。
あとで一冊まるごと、ゆっくり目を通そうと思っていても、なかなかそうはいかないことが多いですよね。
だから興味のあるものだけピックアップして、あとはいさぎよくゴミ箱に捨てます。
仕事に役立ちそうな記事はすべて、日付などを書き込んでファイリング。

こうして資料のファイルは4000冊以上になり、レシピ数は27万点を超えました。
レシピは、子育てをしていたときにも、家事の合間の「細切れの時間」を使って考えました。
その気になれば、自分の時間はいくらでもつくることができるものです。
朝、夫や子どもたちを送り出してから、台所の隅っこに折りたたみの文机を広げて、資料を切り抜いたりレシピの原稿を
書いたり。

夫も子どももいない時間は私一人のものですから、何をしようと構わないでしょ。
午前中に書き上げた原稿を新聞社まで届けに行って、大好物の博多のうどんを食べて、さっと帰ってくる。
そんなことも楽しんでいました。
そのかわり、子どもたちが帰宅する夕方4時ごろには、菓子折りの箱ひとつに切り抜きや書きかけのレシピなどをパパッ
と入れて、机も片付けて。
さも一日どこへも行かなかったかのような顔をして、台所に立っているんです。(笑)
家事が苦手だから、と後回しにする人もいるでしょうけど、私は嫌いなものからやる主義。
大好きな料理にいちばん時間をかけたいので、洗濯も掃除も庭を掃くのも、先に手っ取り早く済ませてしまいます。
ただし、窓ガラスや鏡の汚れなど、他人から評価を受けやすいところは手を抜きません。
もともと整理整頓は得意ですが、とりわけ冷蔵庫の中はきれいに片づけています。

子育ての最中は、買い物は毎週月曜日に一度だけ、と決めていましたので、前日の日曜日は、冷蔵庫の大掃除をしま
した。
残っているものを全部外に出して、野菜ボックスや棚を布巾で拭いたあと、中身を戻す。
それから買い物に行きますから、冷蔵庫に何があるのか頭にしっかり入っているわけです。
大変そうに感じるかもしれませんが、結局は腐らせて処理に困るようなものを買わずに済むので、経済的にも時間的に も節約につながるように思います。

整理好きが高じて、友達の引っ越しのお手伝いを買って出て、使いやすい台所作りを引き受けることもあります。
食器棚やキッチンカウンターなどのレイアウトはもちろん、新築のお家の壁に勝手に釘を打ちつけて、栓抜きなど調理 用具をかける(笑)。
でも、それが、「動かずに、身の回りにある道具で料理が全部できるから助かるわ」と喜ばれているんです。
物が多くて片づかないからといって台所を広くすれば、ますます片づかなくなるし、動線も長くなります。
そうすると当然、段取りが悪くなって、手早く家事を済ませることが難しくなりますから、おすすめできません。

 

3つ買えば、3つ捨てる

私は、できるだけ物を持たないようにしています。
だから仕事も家事も段取りよくこなせるのかもしれません。

たとえば調理器具でも文具でも、いろいろな機能を持った製品がたくさんありますが、必要最低限の物を利用するほう が、時間の効率もいいような気がするのです。


おそらく、度重なる引っ越しの経験が、物を持たない生活の原点になっているのでしょう。
製鉄会社に勤めていた夫の都合で東京|九州間を16回も引っ越しました。引っ越しの前夜、すべて片付けて何もなく なった台所で、子どもたちと床に座って夕飯を食べる。
それでも暮らせる。
引っ越し先でも、最初の日はほんの少しの調理道具と、「食料」と表書きした段ボール箱の中にあるものだけでご飯を 作って食べる。
それでも暮らせる。

そうなると、あれも要らない、これも要らないな、と実感するわけですね。
家族全員、洋服は今クローゼットにかかっているものと、オフシーズンのものも含めて押し入れダンス1竿分ずつしか 持っていません。
私は夫より少ないくらい。
最近着ている洋服は、洗濯しては段ボール箱に詰め、私と同様、東京と福岡を行ったり来たりしています。

3つ買えば3つ捨てるのが、私流。
どんなに上等なスーツでも、新しいスーツを買えば処分します。
取っておいても、流行遅れになりますでしょう。
だからクリーニングに出して、着なくなった夫の背広などと一緒にバザーに出します。
私の母が亡くなったときも膨大な数の高価な洋服が残っていましたけれど、サイズが合いませんから、すべてボラン ティア組織に送りました。

捨てるか、捨てないか。「他人の目」になって見ると判断できます。
自分の目で見ると、やはり自分には甘くなりますから、なかなか片づきません。
私ね、最期まで気取っていたいんです。これまでたくさんの人を見送り、あとの始末をしてきましたが、そのとき、亡く なった人の暮らしぶりが如実にわかる。
親しかろうと親しくなかろうと、それまでの生活が人の目にさらされるわけです。
人は、いつ亡くなるか知れません。
「たった今死んでも恥をかかないだろうか」 ||そう考えたら、捨てるべきか否か、さっと決断がつくような気がします。
「村上さんって、片づけるのが得意だとかシンプルライフが好きだとか言っていたけれど、口ほどではなかったのねえ」 なんて思われるのは嫌ですもの。(笑)

家の中にいてもきれいにしていたいから、東京の家でも福岡の家でもヒールの靴を履いています。
もちろん、お掃除をするときなどは、動きやすいぺたんこの靴で、お気に入りのデニムのスカートと木綿のシャツ姿で すが、親しい友達を迎えるときも、ちょっと近所に出かける場合も、きちんと身繕いして、一日に何度でも着替えます。
定年退職して福岡で暮らしている夫は、料理ができる人ですけれど、日に一度は外で食事をするように勧めています。
外食するとなると、ネクタイを締めて気取って出かけますでしょう?
そういう機会がなくなると、どんどん老け込んで汚らしいおじいさんになっていくような気がするんです。
要するに、家の中も時間の管理も、「他人の目」が必要じゃないかしら。
それがないと、際限なく、だらしがなくなっていくように思います。

 

「気は心」を伝えたい

早いもので、東京にスタジオを構えてから今年で10年になります。
かつて30代の初めにも、料理コンクールに挑戦して優勝したのをきっかけに、東京で一度、料理教室を開いたことが ありました。

でも数年後には夫の転勤が決まり、東京での仕事を諦めることにしたのです。
転勤先の北九州では、慢性骨髄炎との診断を受けて、入退院を繰り返す毎日でした。
そんな中で、夫と息子たちのために電子レンジで作る簡単なレシピを考えたとき、「きちんと食べて、きちんと生きる」 ことを多くの人に伝えたいと痛感しました。

47歳で管理栄養士の資格を取得し、53歳で東京に進出したのも、その思いがあったからです。
東京で仕事を再開するのが長年の夢だったこともあり、この10年はパワー全開で、一日に3つも4つもやりたい仕事を やってきました。

以前は、「48時間仕事をしています」と威張っていた時代もありますが、いくら休憩の要らない身でも、体にいいわけが ありません。結果的に仕事の効率も悪くなったので、今は「その日のうちに仕事を終える」のがルール。
書きかけの原稿も置いて、夜、11時には休みます。
攻守逆転で、定年後の夫は、私を強力に支えてくれています。
私が好きなことをやっていられるのも、経理など裏方の仕事を彼がすべて引き受けてくれているおかげです。

でも「本日はこれにて閉店」となった途端、うんもすんもない。
何が起ころうと、こちらが働いていようと、遊びに行ってしまいます。
時間の使い方、切り替え方が本当に巧い人だと思います。
思えば、ひたすら走ってきましたが、いつまでもこのスピードで仕事をやり続けていけるはずがないとわかっています。
私の終の住処は、夫のいる福岡。
まだ当分は飛びますけれど(笑)、?空飛ぶ料理研究家″ではなくなる日がきっとくるでしょうね。

そんな私がいずれ目指したいと思っているのは、こざっぱりとした昭和20年から30年代のような生活です。
少ない物を段取りよく使って、ゆったりと豊かな気持ちで暮らす。
それがあのころの日本の暮らしでした。
私、「気は心」という演出が好きなんですね。
お料理をしても、青じそが1枚あったら刻んで料理に添える。
芽じそを手でちぎってお味噌汁の碗にわっと散らす。
ちょっとした工夫ひとつで、心が豊かになります。
そういう文化が日本の家庭からいつの間にか消えてしまいましたが、私が育ったころは確かに息づいていたものでした。
それを、これからは若い人たちにも伝えていきたい。

何もかも取り込んで目いっぱい張り切った時間があったからこそ、今は落ち着いた生活に向かおうとしているのかもしれ ません。
自分の人生という?大きな時間″をどうやりくりするか考えるのも、大切なことだなと思っているところです。

 

構成◎木村博美 撮影◎川上尚見

 

むらかみさちこ 1942年福岡県生まれ。福岡女子大学家政学科卒業後、専業主婦に。27歳のとき自宅で料理教室を始め、その傍ら、料理コンクールに挑戦、その優勝回数は多数にわたる。95年、電子レンジでパンを焼くという発想が注目を浴びる。西麻布にも料理スタジオを構え、雑誌、テレビ、講演などで活躍。著書も多数あり、近著は『ムラカミ流すっきりキッチンの法則』など