第5回「ちゃんと食べてちゃんと生きる」

朝日新聞(夕刊)人生の贈りもの「料理研究家 村上祥子」(2011.05.20)より転載

--1980〜90年代の北九州時代はどんなお仕事を


夫の転勤で東京から引っ込んで間もなくです。
昼間一人で家にいるとさびしいなあ……仕事やめてきちゃったし。
気を取り直してチーズケーキなどを焼いて西日本新聞社に行きました。


受付で「お約束はありませんが、お仕事がいただきたくて参りました」と言ったら、文化部の次長さんが会ってくださり、適当に600字と決めて書いてきた原稿とケーキを渡しました。

 

その後も東京で書いた雑誌の記事を送ったりしたら根負けなさって、半年後「とりあえずーカ月、4回分載せましょう」と電話がありました。
一カ月後、お礼にうかがったら「わりと評判がいいので、少し続けますかね」。
しめた、と思いましたね。
それで、「クビ」と言われるまで18年間、毎週コラムを連載しました。

 

この間に母校の非常勤講師もしました。
栄養指導実習で初めて電子レンジを使いましたら、一人暮らしの学生さんたちが自分の食事にも活用し始めた。
食生活が好転し、生き生きしてきた。

 

個食化、高齢化の時代に使えると気づき、本格的にレンジ料理を研究しました。
レンジ発酵のパンも試行錯誤の末、とてもうまくできるようになった。
そのうち子どもも大きくなり、義父をみとりました。

 

90年ごろ福岡に教室をつくり、通いで東京の仕事をしながらも、やはり東京に拠点が欲しかった。
病気のときの体験から、ちゃんと食べてちゃんと生きることの大切さを全国区で伝えたかったのです。
夫も賛成してくれ、実父が亡くなりまとまったお金が入ったこともあって、95年に東京にスタジオを開きました。


 

--東京と福岡を毎週のように往復、地方での講演も月に数回こなしていらっしゃる


3日と同じ場所に寝ていないかもしれませんね。
飛行機でも何か読んだり書いたりしています。
でも疲れません。

 

夜遅くまで仕事でも、翌朝はにっこり機嫌良く「おはよう」。
スタッフは「かなわない」と言いますね、ふふふ。
今、福岡の教室を改装しようと計画中です。
生徒さんが望むものをお教えするマンツーマンの教室を増やすつもりです。

 

みなさん、じつはごく普通のものを習いたいんですね。

 

外食チェーンのメニューを毎月提案するお仕事もしています。

 

派手さも必要な一方で、今は健康的でリーズナブルなものが受ける。
食事に求められるものは常に変化しますから、いつも何かしら考えています。
仕事はレジャーよりおもしろいんじゃないかしら。


--息抜きの時間は?


夏と冬、1週間ずつ海外に行ったりします。
亭主が計画して手配して、私はついて行くだけ。
睡眠不足らしくて、ぐうぐう寝ています。


おわり


(聞き手・大庭牧子)