第1回「外国人に社宅で普通の味教える」

朝日新聞(夕刊)人生の贈りもの「料理研究家 村上祥子」(2011.05.16)より転載

--東京・西麻布のスタジオには、背の高い十数台の本棚にファイルがぎっしり並んでいて、背表紙には食材名や調理法が書かれています。

テレビや雑誌でのご活躍を支えるデータベースですねここに2千冊、福岡に2千冊あります。

出発点は1冊のアメリカの料理事典でした。

もうぼろぼろですが。

40年以上前、私が料理を最初に教えたアメリカ人のアンさんが「こういうものがあるのよ」と教えてくれました。

その事典は肉、魚、野菜と材料別に家庭料理が網羅されていて、すぐに引ける。
女性が結婚する時にこれを1冊持って行く。
すごいものがあるなと感心して早速取り寄せました。
私もこういうものを作りましょう、と思ったのです。

 

 

--アメリカの女性に料理を教えたきっかけは

アンさんは夫の同僚である日本人の奥さんで、日本に来たばかりでした。

東京の同じ社宅に住み、和風のお総菜をお裾分けするとご主人がとても喜ぶので「教えてちょうだい」と言ってきました。

最初は月謝もいただかないで、「卵4個とフライパンを持ってきてね」という感じ。
それをアンさんが外国人クラブのお仲間に話したらしくて、「私も」という人が12人も集まった。

1回500円いただくことにして、社宅ですから会社のお許しも得て、毎週教室を開きました。

生徒さんのご主人はみな日本の方です。

教室を始める前にどんな料理を覚えてほしいかアンケートをとりましたら、おみそ汁とかおむすびとか白菜漬けとかサバのみそ煮とか、意外に普通のものでした。

私ができることを教えるのでなくて、求められるものを教えなくてはいけないと気づきました。

テキストを作るのに追われましたね。

人に伝えるには小さじ4分のーまで言ってあげないといけませんから、いつも勘で作っているものを書き取って、今度は書いた通りに作る。

あら、いつもの味にならない……こんなことの繰り返し。

相手は外国の方ですからもちろん英語で書きました。
その英語がおかしいって生徒さんが言うんです。
レッスンの前にコーヒーを飲みながら「この部分は○○といえばひとことですむのよ。」
「ああそう。じゃあ直しましょう」なんてにぎやかでした。

 

--もともと料理は得意だったのですか

小学2年ごろには何か作っていたようですね。
福岡の実家は石炭の仲卸商で、戦前は使用人がいて食事も作りました。
母は病弱なせいもあって料理があまりできなかった。
その母に食べさせてあげたいというのが最初です。